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神奈川県立近代美術館

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日本で最初の公立近代美術館として、1951年に鎌倉に開館した。日本近代美術を中心におよそ15,000件(2021年現在)の作品を所蔵。

現在は一色海岸に面した葉山館と、大髙正人が設計した鎌倉別館の二館体制で運営され、それぞれ年数回の展覧会で国内外の近現代美術を紹介。
野外彫刻のある庭園は、観覧券なしでも散策して楽しむことができる。


高橋由一(1828-1894)は、江戸に生まれた日本を代表する洋画家。明治初期の緻密で写実な工部美術の描法とともに、江戸の情感も併せ持つ。
まるで、タイム・トラベル!


 

  

葉山館 神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1

TEL:046-875-2800

  

鎌倉別館 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-8-1

TEL:0467-22-5000

  

東博百選

グレ-風景 浅井忠 
明治34(1901)年 東京国立博物館蔵 高野時次氏寄贈

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グレ-風景 浅井忠

佐倉藩藩士の子供で花鳥画を学び、文明開化でフランスに留学した浅井。 19世紀半~20世紀前半芸術村が、フォンテーヌブローの森周辺にあった。 若い画家たちは、光の微妙な変化が現れる水辺に写生地を求め、川に面したグレーは、第二のバルビゾン村となる。 4度目のグレー訪問で、約14ヶ月間滞在した浅井はグレーで、屋外での写生を日課とする。自然観察で得た題材をアトリエで構成し、多くの作品を描く。

グレ-風景 浅井忠

畿内七道

江島神社

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江島神社は、元々は日本三大弁才天の一つに数えられる社寺。飛鳥時代欽明天皇の勅命で、島の南の洞窟の中に宮が建てられて、鎌倉時代に源頼朝や北条家に篤く信仰された歴史がある。明治初(1868)年、神仏分離によって仏式を廃して神社と改称。その時、多くの仏教施設や仏像が廃棄されてしまう。江戸時代参拝の様子は歌川広重や多くの浮世絵師が描いた。

弁才天

〒251-0036 神奈川県藤沢市江の島2-3-8

TEL:0466-22-4020

千夜千冊

横浜富貴楼お倉

横浜富貴楼お倉明治横浜富貴楼の、粋で、伝法で、肝っ玉の坐ったお倉さん。スラリとした美人で160cmはあったという。途方もない器量と気っ風の持ち主で、三菱の川田小一郎と共同運輸の品川弥三郎のあいだに立って手をつながせたという噂。後に両派は合体し日本郵船に。

文責:旅鶴編集室

千夜千冊

鳥居民
草思社

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関連施設

 

明治初期に日本で最初の美術教育を行ったのは、社会インフラ整備と殖産興業のための技術者の養成を目指した工部大学(1871年―明治3年の創設)付属の工部美術学校でした。イタリア人画家のアントニオ・フォンタネージ(1818-1882)は、明治政府のお雇い外国人教師として来日し、工部美術学校で浅井忠(1856-1907)を指導し、また高橋由一(1828-1894)とも交流します。
工部美術学校は、ペリー来航(1853)を契機とし、江戸幕府が設立した蕃書調所(ばんしょしらべしょ)画学局をみなもと、母とします。
高橋由一(1828-1894)は、幕府の西洋絵画研究機関の(蕃書調所の後身)開成所画学局で学びました。高橋由一は幕府譜代の佐野藩出身、浅井忠も譜代の佐倉藩出身。
明るい光、外光表現とリベラル思想を紹介した薩摩藩出身の黒田清輝(1866-1924)が、初代教授として指導した東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科とはまた流れが違います―、旧弊も新しきを目指す。
江島神社の奉安殿(ほうあんでん)に安置される琵琶を抱える裸弁財天、妙音弁財天は、芸能の神。江戸時代から芸能に関わる人たちの参詣が盛んです。
明治維新以来、花柳界、演劇社会の女傑、横浜富貴楼のお倉さん(1837-1919)。彼女の生まれは、江戸の谷中茶屋町。
江戸幕府火付盗賊改の長谷川平蔵(1745-1795)、鬼平犯科帳の舞台、谷中いろは茶屋もまた花街。

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