保津川は、京都府中央丹波高地から園部、亀岡を通り嵐山・桂川となり、鴨川と合流して淀川に至る。保津川渓谷は古来平安京を物資流通で支えた。木材は筏で下り、嵐山で京都御所まで東西に走る丸太町通につながる。江戸時代慶長期、角倉了以の水路開発で筏は高瀬舟となり、現在観光の遊船で奇岩・巨石の渓谷美を堪能できる。
京都府亀岡市
TEL:0771-22-5846 (保津川遊船業組合)
ミジカヨロイは、古墳の副葬品で出土し、埴輪などにも見られるモノ。 四角や三角の鉄板や革などの素材を、人間のカラダに合うように加工するコザネは、連続させて頭や胴を守るように、板を合わせ鋲で留める。蝶番(チョウツガイ)で開閉式とする。腰の部分がくびれて現存するのは主に鉄製や金銅製。 同時期には、中国北方遊牧民の騎馬兵のヨロイとかさなる、肩から打ちかけて着用する、ウチカケヨロイ、挂甲(ケイコウけ)もある。 兜の上には、2つの半球形金具を筒状金具で接続。僧侶の使うホッス(払子)のような飾りがつけられた?
直径16.9cm、縁に7個の鈴が付く鏡。兵庫県下で出土例がなく、全国的にも数例。当古墳は、古墳時代後期(5世紀末~6世紀)の築造で、古代の馬具の一種である鏡板には、装飾として鈴がついたものもある。当地域の古代史を解明する手がかりとして極めて重要な資料。当館で近世城下町丹波篠山(たんばささやま)伝来の武具とともに展示紹介。
〒669-2322 兵庫県丹波篠山市呉服町53番地
TEL:079-552-0601
両親ではないおじいさんやおばあさんが登場し、子宝を授けられ竹や桃や瓜の中からマイクロチャイルドの赤ん坊が誕生。やがて成長し大成功する。著者は、アジアやユーラシア大陸に広がる水辺にまつわる物語性を発見し、桃太郎の原母とし、永遠の生命を約束する万葉集の月よみの持ちたる変若水(おちみず)にも注目。昔話が世界に広がる。
石田英一郎 講談社学術文庫
Tags : 京都府京都御所保津川下り鴨川
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