土佐からの帰京の旅で、紀貫之は失った娘の思い出を重ねながらも、不安な気持ちで神仏に祈り渡った鳴門海峡。土佐日記が書かれた千年前も、鳴門海峡の浅瀬両岸に現れる渦潮は、太平洋から海峡に直進した潮と淡路島を迂回した潮が再び出会い生まれる。国生み神話オノコロ島で天の御柱をまわったイザナギ・イザナミのごとくに。
〒656-0501 兵庫県南あわじ市福良港
TEL:0799-52-0054
醍醐天皇(885-930)の命により編纂された古今和歌集。巻物の一部を切り、掛軸などに仕立て直すのが、断簡、切。その古今和歌集の最古の写本で、平安時代から名筆、古筆切(コヒツギレ)の代表作品。 洗練された美しいかな文字のつながり続くさま、連綿が見事で、切れ味の鋭い筆の線を駆使して、明るく流動する美を造形。この、しとかでうるわしい、優麗典雅(ユウレイテンガ)な書風は、平安貴族が、書道の手本とする。 もとは20巻を揃え6人の合作、寄合書(ヨリアイガキ)と考えられる「高野切」の名は、豊臣秀吉が高野山の僧、木食応其(モクジキオウゴ 1536-1608)に、その断簡を与えたことに因んでいる。
歌人紀貫之が第48代土佐国司を務めた邸宅跡近くの当寺。高浜虚子一族の句碑のある、お遍路さんを年中静寂で清涼に迎える杉苔の庭園がある。やはり天平11(739)年の詔でその国の一番よき地として選ばれた歴史を納得させる。中世に苔むす廃寺同然になっても、永禄元(1558)年、長宗我部元親が再建し歴史をつなぐ。
〒783-0053 高知県南国市国分546
TEL:088-862-0055
平安時代、関白頼忠の子の藤原公任が娘の結婚の引出物として編集したアンソロジー。漢詩は適宜、朗詠しやすいような詩句だけ抽出し、白楽天や菅原道真が多く選ばれ、和歌では紀貫之など紫式部好みが選ばれる。和漢を並列し、王朝感覚をわかりやすく伝える。
川口久雄 訳 講談社学術文庫
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