キリスト教禁止令のため、慶長19(1614)年、活版印刷機も日本を離れマカオに移る。しかしその後、マカオで印刷・出版された日本語研究の書が、200年の時を超えて、19世紀ヨーロッパで日本学が起きると、文献資料として活かされるのだ。南蛮文化資料を多数所蔵する当館で、その活版印刷機の複製機が展示される。
〒863-1215 熊本県天草市河浦町白木河浦175-13
TEL:0969-76-0388
薩摩藩士の子供に生まれ、欧州で学んだ豊かな光の表現を特色とする「外光派」の旗手として、明治時代の洋画界をリードした黒田が、パリ・サロンに初めて入賞した作品。パリ南東66kmにある小村グレー・シュル・ロワンで描く。 鎧戸(ヨロイド)から射し込む陽光が、下宿先の娘マリアの顔を、柔らかに包み込み、色白の肌を照らす。黒田は画面左側に、漢字で筆を入れる。 マリアへの想いも語られる。
1582年ローマに派遣された少年使節の中浦ジュリアン神父が1621年、ローマの古い知人に宛てた手紙。「信仰のために起こり得る全ての迫害に一身を投じる人々と共に」と書かれる。帰国前の1587年 、秀吉の宣教師退去令、1614年、家康のキリシタン教禁止令。1633年、地下活動を22年続けた中浦神父、長崎に殉教。
〒850-0051 長崎市西坂町7-8
TEL:095-822-6000
どんな困難も乗り越えるし、そのわりに迅速だし、おまけに土地の住民に新たな生きる意志を生むためのロールとツールとルールを提供しているイエズス会士は、日本が信長だ秀吉だ家康だといったその同時代に、まさに複数のザビエルとなって世界を変革していた。
フィリップ・レクリヴァン 「知の再発見」双書
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