西方寺本堂横の普明閣は、宝暦8(1758)年の建築。6.39m の方三間で、屋根の形が四方どこから見ても三角形の宝形造。本瓦葺の二重屋根、舞台は京都の清水寺を模す。 その特異な屋根は、町のどこからでも望め、また普明閣からは竹原の町を一望できた。竹原の邸宅の茶室には、 普明閣と月が見える窓がつくられた。
〒725-0022 広島県竹原市本町3-10-44
TEL:0846-22-2236
鎌倉時代初期の歌人藤原定家(1162-1241)の日記、『明月記』は、治承4年(1180)から嘉禎元年(1235)までの56年間に渡り、詳しく記録されている。本品は天福元年(1233)6月の記。その時定家は72歳で,正二位権中納言。1日条より29日条までの記事を収められ,定家の晩年の筆の特徴が顕著。
優美な起(むく)り反りの桧皮葺寄せ棟造りは平安貴族邸の面影を伝え、清清しさを取り込んで雅。雅のはじまりは、780年征夷大将軍坂上田村麻呂が、大和国の僧・延鎮が夢告で開いた音羽山で延鎮と出会い観音に帰依し、蝦夷地平定後、凱旋し自邸を寄進したのが起こり。延鎮が観音を念誦し滝行した奥の院は、本堂・舞台を一望する。
〒605-0862 京都市東山区清水1-294
TEL:075-551-1234
引き算の美とは?“そういう表現の傾向は、応仁の乱をはさんで日本に少しずつ広まっていた。それが枯山水の試みとか、能の省略法とか、村田珠光の侘茶の発見にも及んでいたんですね”侘び寂びアバンギャルド。日本美術の見方が一変する衝撃の日本論 第4段。
松岡正剛 春秋社
Tags : 広島県清水寺茶室西方寺
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