加賀藩主前田利家は金沢城建設のため技術集団を引き連れ金沢に入る。木造軸組工法、即ち柱と梁(はり)、桁(けた)を持ち、鉄の釘やボルトを使わず木材に凹凸を造って組み合わせ、木で作った楔(くさび)を打つ。土壁と柱と柱を繋ぐ横木貫(きぬき)を組み合わせた耐力壁は、耐震性にも優れた極めて丈夫な構造である。菱櫓(ひしやぐら)等の復元工事で伝統技術が継承される。
〒920-0937 石川県金沢市丸の内1-1
TEL:076-234-3800
立原杏所(1786~1847)は水戸藩の藩士で、また絵師ではない人が描く文人画の南画家。父は、水戸藩の修史局、彰考館(ショウコウカン)艦の総裁をつとめ、黄門さまの徳川光圀(1628-1701)の遺命である『大日本史』の編纂に尽力した、立原翠軒(スイケン 1744-1823)。 杏所の画のスタイルは謹直で穏やかなのだが、酔いにまかせ描くこの作品は、大胆で奔放。フラットで温暖な中国・江南の風土から生まれた、とらわれることなく自然の風情を描く画が、南画。
当御所は寛永4(1627)年、八条宮智仁親王の甥、後水尾上皇の為、退位後に内裏から退去する御所として造営された。その庭園は綺麗さびの小堀遠州による作庭である。回遊式庭園の二つの池の間には藤棚の美しい八ツ橋がかかる。まさに近世・慶長の美の結実がそこにある。常に石組みなどの締めを置く、華麗なる美の展覧。
〒602-8611 京都市上京区京都御苑3
TEL:075-211-1211(代)(宮内庁京都事務所)
蒹葭堂は元文元(1737)年に大阪北堀江の酒造りと仕舞多屋を兼ねた家の生まれ。画人、博物学者であり、考証家でネットワーカー、文筆家で蔵書家で、文人墨客とサロン活動する。蒹葭堂は、産業と文化を切り離さなかった。産物と学問と芸術を分断しなかったのだ。
中村真一郎 新潮社
Tags : 石川県金沢城
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