津軽半島の付け根にある青森県鯵ヶ沢町は、室町期、南部久慈一族が移り、津軽藩発祥の地の御用港として栄える。白神の森は藩政時代、田の水を確保するために禁伐林として大切に守られた。恵みの水を溜めたブナの林は、世界遺産の白神山地から北に20kmの黒森地区にある。天然広葉樹林の恵みに溢れる。(*熊の出没により、現在運営を休止中)
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町
TEL:0173-79-2009 (鰺ヶ沢町役場教育課)
縄文人の宇宙観を表しているとも言われる不思議な世界を表現する。 眼が奪われる装飾の上部、口縁部分。その下部の渦巻き状で装飾、口縁に平行に線を引く隆起線紋(リュウキセンモン)と、道具で線を彫る沈線紋(チンセンモン)という胴部の縦線。頭でっかちで不安定に見えるが不思議なバランス、積み重ねる技がそれを生み出す。
津軽半島は鎌倉期より豪族安東氏が治め、本拠地十三湊は半島・大陸と交易し博多湊と並ぶ湊。室町期、南部下久慈から、36人の武将を率いて種里の地に入った津軽藩始祖大浦光信は鯵ヶ沢町の山間部種里に城を築き、苦闘の末、津軽統一を果たす。種里城跡には光信公が甲冑を着たまま辰巳の方角、岩手県久慈を向いて埋葬される。
〒038-2725 青森県鰺ヶ沢町大字種里町字大柳90
TEL:0173-72-2111(鰺ヶ沢町役場教育課)
司馬が求めた「この国のかたち」には、答えはなかった。しかし日本の見方はとりわけ神道的なものを重視し、これを「真水」とみなす。それは教義などはもっていないで、本居宣長ふうにいえば、日本の神奈備が真水なのである。若返る若水を何度ものめるところ。
司馬遼太郎 文春文庫
Tags : 白神の森遊山道青森県
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