当館では、東征の帰路、鈴鹿峠を前に力尽き、白鳥となり大和に戻った日本武尊御墓といわれる、能褒野王塚古墳出土の4世紀末頃の埴輪等を展示。この埴輪は、円筒状の埴輪の左右にヒレのような突起を付け、上部が朝顔の花のような形。鰭(ひれ)付朝顔形円筒埴輪と呼ばれ、畿内に多い。畿内大和政権との結びつきが強い埋葬者を示唆。
〒519-0151 三重県亀山市若山町7-30
TEL:0595-83-3000
やや高い椅子に座り、女子像を表す袈裟衣(ケサコロモ)を着て、タスキをかけ、組み合わせた三角の文様、三角文の帯をつけ、左腰には五つの鈴付きの鏡と、三角文のデザインのポーチを下げている。 巫女のようで、対の男子像もあったと思われる。
畿内から東海道に向う鈴鹿峠、鈴鹿市入道ヶ嶽山頂からは御在所岳など鈴鹿山脈や伊勢湾の素晴らしい眺望が広がる。河内王朝前の三輪王朝、仲哀天皇の父日本武尊は東征の帰路、鈴鹿峠を前に力尽き、「大和は国のまほろばたたなづく青垣」と詠い白鳥となり大和に戻ったという。「日本武尊御墓」は、深く静かな緑につつまれる。
〒519-1101 三重県亀山市
TEL:0595-97-8877 (亀山市観光協会)
『万葉集』巻一冒頭で、雄略は英雄であって人間であることをあらわす。実像がきわめて鮮明な日本史誕生の母型をもった最初の大王。河内王朝が大きな頂点を迎え、そして象形された日本の母型のひとつは、東アジア社会のストリームとは決して無縁ではなかった。
岡田英弘 ちくま文庫
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