当寺は南河内郡太子町にある聖徳太子墓守護のために聖武天皇が建立した。聖霊殿、太子堂は、聖徳太子の十六歳像を祀り、縁高欄擬宝珠(ぎぼし)で飾られる桃山建築の遺産、国の重要文化財。天平時代にはじまる太子信仰では、聖徳太子は「救世観音」。平安時代には末法思想で、四天王寺や叡福寺は霊場化し、浄土念仏信仰へつながる。
〒583-0995 大阪府南河内郡太子町太子2146
TEL:0721-98-0019
痩身で、装身具も簡素な足を組み瞑想する菩薩像。 666年朝鮮半島で百済が滅ぶ。多数の王朝の民が日本に亡命。 朝廷の役人が、亡くなった半島出身の妻のために願いを込めた仏像。 —ハンカする台座の枠に「高屋大夫が亡き韓夫人のために」と刻まれ、仏像の痩身や腰から垂れる帯飾りで、朝鮮三国時代の仏像との関連も濃い。
聖徳太子創建の当寺金堂壁画は7世紀末頃描かれ、インド・アジャンター石窟群や敦煌莫高窟の壁画と共にアジア古代仏教絵画の代表とされた。焼失後再現された6号壁の三尊(阿弥陀・観音・ 勢至)を中心に25体の菩薩像を表す阿弥陀浄土は白眉。壁画の図様に国宝刺繍釈迦如来説法図(奈良博蔵)との高い親近性が見られる。
〒636-0116 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
TEL:0745-75-2555
本章は「日本書紀」の編集方針が神武から応神までの王朝と、仁徳から武烈までの王朝とが大きく二つの流れとして認識されていて、それが中国的な交替史観によって記述されていることを指摘し、その実像が極めて鮮明な雄略紀に「随書」の濃厚な影響を観察する。
遠山 美都男 中公新書
Tags : 叡福寺大阪府
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