内藤湖南はジャーナリストとして活躍した傍らで中国史や文化の研究を行い、京都大学講師となってからは中国研究の第一人者として後世に影響を与えた東洋史学者。当館は十和田湖開発に尽力した和井内貞行(わいないさだゆき)の本邸跡地に建てられ、内藤湖南をはじめとする当地にゆかりのある先人の資料を展示する。
〒018-5334 秋田県鹿角市十和田毛馬内字柏崎3-2
TEL:0186-35-5250
ギリシア・クノッソス宮殿出土のような土器。 伊勢湾岸の地域で、流行の弥生時代後期の土器。 布や皮を折り曲げ、回転させている土器の表面に当てて作る凹線文(オウセンモン)と、短い棒状の粘土ヒモを貼り付けた棒状浮文(フモン)で装飾された広く開く口縁と下ブクレの胴は、その地域の特徴。 器の面を塗り分けた赤色の顔料が、そのプロポーションを引き締める。
笑う岩偶は、縄文時代晩期集落の米代川支流の阿仁川がS蛇行し挟まる河岸段丘上で出土。高さ6.9cmで軟らかな凝灰岩でできている。この岩偶は、ムラを内外に分ける区画した溝の内側から出土し、祭祀用の土偶や土器も共に出土。現在は、4000年前の縄文後期、特別な祈りの場、ストーンサークルを主とする伊勢堂岱遺跡の縄文館で展示される。
〒018-3454 秋田県北秋田市脇神 字小ヶ田中田100−1
TEL:0186-62-6618
明治時代、湖南は東西を比較してその「あいだ」に立つ意見はとらず、日本が立つべきは、国家をこえた普遍的立場を表明していったほうがいいのではないかと考えた。日本には日本文化の種があって、日本にとっての支那文化は豆腐のニガリのようなものだというのだ。
内藤湖南 講談社学術文庫
Tags : 十和田湖秋田県鹿角市先人顕彰館
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