那智大瀧から程近く、見晴らしの良い場所に当社社殿は建つ。社伝には神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸し、大瀧の守護の下、八咫烏の導きで無事大和へ入ったとある。実はそれ以前から原住民が那智大瀧を神として祀った歴史も伝わる。古よりの記憶が残るその景観に、歴史を作る必然の因果と偶然の縁がクロスする。
〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
TEL:0735-55-0321
鎌倉時代初期の歌人藤原定家(1162-1241)の日記、『明月記』は、治承4年(1180)から嘉禎元年(1235)までの56年間に渡り、詳しく記録されている。本品は天福元年(1233)6月の記。その時定家は72歳で,正二位権中納言。1日条より29日条までの記事を収められ,定家の晩年の筆の特徴が顕著。
狩野益信(1625-1694)は、松花堂昭乗に書を学び、狩野探幽の養子となり、黄檗宗隠元導師に明の最新画法「逆遠近法」を学ぶ。ゆえに益信が描く孔雀は、動くかごどく観るものに迫りくる。聖護院は、園城寺(三井寺)の智証大師円珍の流れを継ぐ増誉(ぞうよ)僧正が創建。増誉は白河上皇の熊野詣の先達をつとめ、当寺で全国修験者を統括する。
〒606-8324 京都市左京区聖護院中町15
TEL:075-771-1880
神は在るもの、仏は成るもの。神は来るもの、仏は往くもの。神は立つもの、仏は座るもの。神はやってきて、そこに感じると去っていく。神道は神教ではなく、「センス・オブ・ワンダー」を感じる事と著者はつづる。多神教ではなく、ただ多神と多神が合わさって「センス・オブ・ワンダー」をつくり、そこに祈りが発達したと。
鎌田東二 PHP新書
Tags : 和歌山県熊野那智大社
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