754(天平勝宝6)年東大寺大仏殿で来日の鑑真が、正式な僧とみとめる戒壇を日本ではじめて行う。古代から渡来文化が多く渡る紀伊水道~有田川に沿う有田市の山手に佇む浄妙寺は、鑑真の高弟・唐僧如宝が大同元(806)年に創建するとも伝わる。本堂・多宝塔に守られて、鎌倉時代の運慶次世代造像の仏像彫刻が揃う。
〒649-0316 和歌山県有田市宮崎町1000
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鎌倉時代初期の歌人藤原定家(1162-1241)の日記、『明月記』は、治承4年(1180)から嘉禎元年(1235)までの56年間に渡り、詳しく記録されている。本品は天福元年(1233)6月の記。その時定家は72歳で,正二位権中納言。1日条より29日条までの記事を収められ,定家の晩年の筆の特徴が顕著。
高山寺の中興開山として知られる明恵上人が、自ら見た夢を記録したもの。明恵は19歳の頃より約50年にわたって見た夢を記録しつづけた。記される夢の内容は多岐にわたるが、そこには彼のその時々の思考や行動が反映されている。本夢記は七紙より構成され、建永二年・承元三年・建暦元年、および年紀不明の部分を収める。
〒630-8213 奈良市登大路町50番地
TEL:050-5542-8600(NTTハローダイヤル)
鎌倉からの中世を、密教を中心に神道的なものも含め、寺社体制を組み入れ、宗教の世俗化を促進させたと本書は読み解く。武士が中心となってリアリズムを求めただけでないと。法皇、八幡宮、神宮、中国・唐から舶来した知識やシステムを選択し、神と結びつけ仏教を広め、古代からの王法と仏法をかさね構築する日本が見える。
黒田俊雄 法藏館
Tags : 和歌山県東大寺浄妙寺鎌倉
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