2011年の東日本大震災から復活した白石城。古代より関東から奥羽へ入る要衝として栄えた白石市の中心部にある当城は、蔵王連峰を背に建ち戊辰戦争時に奥羽越列藩同盟が結ばれた地。会津藩、庄内藩の「朝敵」赦免嘆願のため、蘭学者大槻 玄沢の子、漢学者で仙台藩論客の磐渓が呼びかけ当城で列藩会議開催。陸奥・出羽・越後諸藩が、輪王寺宮を盟主に同盟が結ぶ。
〒989-0251 宮城県白石市白石市益岡町1-16
TEL:0224-24-3030
立原杏所(1786~1847)は水戸藩の藩士で、また絵師ではない人が描く文人画の南画家。父は、水戸藩の修史局、彰考館(ショウコウカン)艦の総裁をつとめ、黄門さまの徳川光圀(1628-1701)の遺命である『大日本史』の編纂に尽力した、立原翠軒(スイケン 1744-1823)。 杏所の画のスタイルは謹直で穏やかなのだが、酔いにまかせ描くこの作品は、大胆で奔放。フラットで温暖な中国・江南の風土から生まれた、とらわれることなく自然の風情を描く画が、南画。
大崎八幡宮の社殿は、入母屋造の本殿と拝殿を相の間で繋ぐ石の間造。鮮やかな胡粉極彩色の斗拱や彫刻に黒漆塗を組合せる外観。当代随一の工匠を招き造営の凝ったその意匠は、後の日光東照宮に受け継がれる。瑞巌寺「孔雀の間」も手がけた仙台藩お抱え絵師、佐久間左京による唐獅子障壁画など拝殿内部は、安土桃山時代の文化を今に伝える。
〒980-0871 宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
TEL:022-234-3606
幕府は「権力の概念化」と「上下定分の理」を求めた。ここに思想として神儒一体のイデオロギーが出現し、次に中国の朱子学を日本の朱子学にするためのかなり異様な方法が提案され、またそれを、日本の神々の垂迹と合致していなければならないという方針を貫いた。
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Tags : 宮城県白石城輪王寺関東
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