栄光のグランシェフ、
その始まりは仕出し屋だった

  フランスはニースのフェラ岬に位置するグランドホテル・デュ・キャップフェラ。ミシュランの1つ星を獲得し、1昨年、またフランスベスト8のパレスホテルにも選ばれた。
  そこで70名の料理人を束ね指揮するのが、ディデイエ・アニエスだ。彼は30年にも満たないキャリア中、無星の店を一つ星にするという成果を3度も成し遂げている。しかもシェフ就任後1年経つか経たぬかのうちに。そんな彼の料理人としての始まりは、仕出屋だった。
  そして仕事の始まりは、少年の頃、南仏の世界遺産である歴史的城塞都市カルカソンヌのぶどう畑で汗を流すことだった。彼のキャリアはぶどう畑から始まった。

美しきカルカソンヌで
祖父に教えられたこと

  リムーの発泡白ワインを輸出していた祖父は、アニエスに、何よりも前にまず、ぶどう畑を耕すこと、そして収穫する喜びを教えようとした。成就の喜びを知った後に初めて、ワインの味わいを教えた。「味わいは先にはなく、人生と共にある」。それが、カール大帝の攻撃に耐え、千年以上の時を越える城塞を持つカルカソンヌの文化だった。
  彼が学校を出た1980年当時、パリの有名レストランはコネ社会で、南仏出身の彼に就業の機会は訪れなかった。ドイツ、オーストリアでの修行を経て、ニースにたどり着いた彼は、10年かけて初めてミシュランの星をとり、2000年にフランス最優秀職人(Meilleur Ouvrier de France:MOF)に選ばれる。旅の5年、成就の10年、そしてホテル・ロイヤル・カジノ、キャナル、グランドホテルと栄光の10年が始まる。

シェフとは、つまるところ
コミュニケーション力のある料理人

  フランスを代表するシェフとなったアニエスは、今やフランスではもはやすたれようとしている、液体窒素などを使った分子料理法を否定はしない。だが、「あくまでも鶏肉は鶏肉でしかない。味の組み合わせや、貴重な食材の組み合わせで、お客様に驚きと満足を与えるのが料理の目的。そのためには手間と知恵、そして謙虚さが必要なんです」と語る。その言葉には、信条というよりも、彼の流儀があるのだろう。たった一人で南仏から旅に出、修行時代を経て、彼が店を移る度に、おのずと客も移動するようになる。そして舞台が大きくなる度に、彼を取り巻く存在は大きくなっていった。大きなホテルの厨房よりもぶどう畑はもっと大きい。ぶどうを育て収穫することが一人でできないように、千年たっても残っている城壁は、建築し維持するには、多くの人手が必要となる。

料理も同様だとアニエスは言う。「シェフとは、コミュニケーション力のある料理人なのだ」と。そして、その語りを日々実践することが、彼の流儀であり、成就の保証でもある。そしてアニエスは今日も努力を怠らない。城壁のごとき千年の味覚を構築するために。

§ディディエ・アニエス略歴と故郷

サン・ジャン・キャップ・グランドホテル総料理長ミシュランの1つ星を次々と獲得。フランスを代表するグランシェフの一人

略歴

  1984  トゥールーズのホテル学校卒業
  1986‐1988  オーストリア、ゴツイックのレストラン、ワインハウス・ドーナー
  1989‐1998 オーベルジュ・ド・ラ・ベル・ルート(ジャン・フランソワ・イソティエ)、ホテル・パレ・メーテルリンク(マルク・ティヴェ)、マンドリューのホテル・ロイヤル・カジノ(ミッシェル・ジョフル)
  1998‐2004  キャナール(一つ星)
  2004‐2007  モナコのレストラン、ラ・キューポール・ド・ホテル・ミラボー(一つ星)
  2008‐  グランドホテル・デュ・キャップフェラで初めての一つ星

世界遺産 要塞都市 カルカソンヌ 
(Carcassonne) フランス

  フランス南部、ラングドック=ルシヨン地域にある古代ローマ時代からの要塞都市。19世紀の建築家ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクにより修復され、1997年ユネスコの世界遺産に認定された。ラングドック=ルシヨン地域圏(Languedoc-Roussillon)は、フランス南部、地中海に面する地域圏。かつてオック語(Langue d‘Oc)が話されていた地域であったことに由来し、また、この地域は古代より、ボルドーのある大西洋側と地中海を結ぶ交通の要所でもある。温暖で夏に雨の少ない地中海性気候で、ぶどうの栽培に適し、厳しい規制にとらわれず自由に良質のワインを作りたいという優れた醸造家が多数移入し、かなり評価の高いワインが生産されるようになってきている。