質で渡来の火縄銃を上回るといわれた国友鉄砲。その技は、江戸時代後期国友一貫斎が作った天体望遠鏡へと受け継がれた。長浜市の当館は、東洋のエジソン国友一貫斎を紹介。一貫斎は、自ら作り上げた反射望遠鏡で、月面観測図をつくり、太陽の黒点観測図も精度の高い記録を残した。現存する4台の望遠鏡は今も鮮明に見える。
〒526-0001 滋賀県長浜市国友町534
TEL:0749-62-1250
表面は彩色の上に金箔を細く切って文様を表す截金技法(きりかねぎほう)で、平安時代後期の特徴を示し、目に水晶を嵌(は)める玉眼(ぎょくがん)技法は同時期には新しい。像内に110枚に及ぶ紙に押した毘沙門天の印仏と彩色の画像。印仏裏面に応保2(1163)年と記すものがあり、作像と同時期作と思われ、ところは奈良の廃寺中川寺。
秀吉は浅井氏が滅ぶ天正元(1573)年に、交通の要所今浜を、信長の一字をとって長浜と名を変え、当地で初めて城をもった。長浜城は眼前の神の島、竹生島から材木を運び築城。当館では、縄文時代から続く湖北・長浜の歴史を紹介する。近世全国に展開した近江商人たちが受け継ぐ浄土の思想や豊かな美意識を展覧できる。
〒526-0065 滋賀県長浜市公園町10-10
TEL:0749-63-4611
全国の領土紛争をめぐる私戦を禁止する「惣無事(そうぶじ)」を宣言し、天皇の意向である「叡慮(えいりょ)」により領土処分権「進止」(しんし)を得たことで秀吉の国家経営システムのシナリオは頂点に達し、朝鮮出兵で瓦解。また朝鮮出兵は陶芸技術と朱子学を残す。
笠谷和比古・黒田慶一 文英堂
Tags : 国友鉄砲の里資料館滋賀県
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