山と海が急緩の景観を重ね、雨乞いの千貫焚で夕立があった夕立受山を見下ろす片上大橋からの遠望が素晴らしい。荘園を基盤とする公家・寺社・武家の権門体制が確立し、美の規範、唐物荘厳の世界がまた確立する室町時代に、現実に中国・宋、明の文物が九州・博多から畿内・堺に向けてこの橋から見下ろす海道で運ばれた。
〒705-0033 岡山県備前市穂浪
TEL:0869-64-3301(備前市商工観光課)
日本に伝わる青磁茶碗を代表する。 銘は、鎹(カスガイ)を馬の背の蝗(イナゴ)に見立て。 儒学者伊藤仁斎(ジンサイ 1627-1705)の息子、伊藤東涯(トウガイ 1670-1736)が著作した『馬蝗絆茶甌記(バコウハンサオウキ)』によると、この茶碗を所持する室町幕府8代将軍足利義政(1436-1490)が、ひび割れた茶碗の代品を中国・明に求める。しかしこれほど優れた品はもう作れないと、鉄のカスガイで修理の上、戻された名品。
当塔は、応仁の乱で敗死の大内義弘の菩提を弔うため弟盛見により建立。上層ほどより細くなり、軽快な反りをみせる檜皮葺の屋根と美しく調和し大内文化を優雅に伝える。雪舟は応仁の乱が始まる年、大内氏の遣明船で渡海し、大内氏は応仁の乱以降、博多や兵庫を拠点とし、堺を拠点の細川氏と争うも、明の勘合貿易も独占していく。
〒753-0089 山口市香山町7-1
TEL:0839-24‐9139
本書紹介の室町幕府のアートディレクター同朋衆は、踊り念仏の時宗に起源する。当時、村落社会の宮座、信仰社会の念仏結社や別所、武家社会の会所で、「寄合の遊芸」が発展し、また兼好法師や鴨長明などの「評価」が貴族や武家に広がる。結果評価される幕府の月例行事を、遊芸に通じる時宗出身者が担い武家文化が育つと語る。
村井康彦 三一書房
Tags : 夕立受山岡山県
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