江戸時代東海道47番目の宿・関宿は、東の追分から伊勢別街道、西の追分から大和街道が分岐し活気ある宿場町だった。江戸から百六里、関宿のほぼ中央の「百六里庭」公園に、関宿の家並みが一望できる眺関亭。現在歌川広重の浮世絵が展示され歴史資料館となる大旅籠(はたご)玉屋は、江戸時代の貴重な旅籠建築として修復されている。
〒519-1111 三重県亀山市関町新所664-2
TEL:0595-97-8877
春の桃の花まつりで有名な山梨県の笛吹市で出土。奇怪な顔と形の上半身。 目尻が鋭く吊り上がり、人の顔というより獣の顔。この顔の表現は中部の高地や関東地方西部で、縄文中期土器の人面がつく取っ手、人面把手(ハシュ)に共通する。 また胸に当てられた左手の三本指のサイン。同様に、この時期の土器につけられる、人体や動物の装飾にみられる。
畿内から東海道に向う鈴鹿峠、鈴鹿市入道ヶ嶽山頂からは御在所岳など鈴鹿山脈や伊勢湾の素晴らしい眺望が広がる。河内王朝前の三輪王朝、仲哀天皇の父日本武尊は東征の帰路、鈴鹿峠を前に力尽き、「大和は国のまほろばたたなづく青垣」と詠い白鳥となり大和に戻ったという。「日本武尊御墓」は、深く静かな緑につつまれる。
〒519-1101 三重県亀山市
TEL:0595-97-8877 (亀山市観光協会)
『万葉集』巻一冒頭で、雄略は英雄であって人間であることをあらわす。実像がきわめて鮮明な日本史誕生の母型をもった最初の大王。河内王朝が大きな頂点を迎え、そして象形された日本の母型のひとつは、東アジア社会のストリームとは決して無縁ではなかった。
岡田英弘 ちくま文庫
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