- 染付山水文輪花大皿(重要文化財)
- 絵陶磁器の原点は古唐津である。短く立上げ口縁部に釉薬をかけず素地を見せ、露胎の口唇部、半透明の釉薬を... 続きを読む
- 肥前名護屋城図屏風 狩野光信筆
- 当作品は豪壮な画風を誇る天才狩野永徳の長男で、下手右京と酷評されても深遠なる奥行きを描いた狩野光信(... 続きを読む
当城は関が原後、慶長13年(1608)年に豊臣秀吉が130以上の諸侯を集めた名護屋城の解体資材を利用したという。初代藩主で、秀吉の側近、寺沢広高が築城。唐津市街北部、満島山に本丸を配し、松浦川の流れを変えて縄張りを行い、砂州を利用し、堀と石垣によって二の丸、三の丸を作り、防御と舟運の便を図る。天守台のある本丸、満島山を鶴の頭とし、東西に延びる松を植えた砂浜を両翼に見立て、別名「舞鶴城」とも呼ばれる。後に東側の松原は、植林が続き黒松百万本とも称される国の特別名勝「虹の松原」となる。
〒847-0016 佐賀県唐津市東城内8番1号
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