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唐津城

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松に鶴の城

当城は関が原後、慶長13年(1608)年に豊臣秀吉が130以上の諸侯を集めた名護屋城の解体資材を利用したという。初代藩主で、秀吉の側近、寺沢広高が築城。唐津市街北部、満島山に本丸を配し、松浦川の流れを変えて縄張りを行い、砂州を利用し、堀と石垣によって二の丸、三の丸を作り、防御と舟運の便を図る。天守台のある本丸、満島山を鶴の頭とし、東西に延びる松を植えた砂浜を両翼に見立て、別名「舞鶴城」とも呼ばれる。後に東側の松原は、植林が続き黒松百万本とも称される国の特別名勝「虹の松原」となる。

松に鶴の城

〒847-0016 佐賀県唐津市東城内8番1号

TEL:0955-72-5697

東博百選

色絵花鳥文大深鉢(オオフカバチ)—伊万里(イマリ)・柿右衛門(カキエモン)様式
江戸時代 17世紀 東京国立博物館蔵

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柔らかく暖かな雰囲気、九州・有田の柿右衛門のスタイル。平安時代から和様の花鳥図を題材に、暖色系の色彩で描かき、非対称、乳白色の余白、豊かな構図。 上絵の色には、赤・黄・緑、そして青・紫・金など。 また茶発色のウワグスリで、口縁を飾る。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷(コクタニ)様式と異なる。

畿内七道

黄金の茶室

大阪城天守閣

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大阪城は戦国時代の石山本願寺を前身とし、豊臣秀吉による築城、大坂の陣による落城、徳川幕府による再築と、日本の歴史とつねに深いかかわりを持ちながら現在に至っている。現在の天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目で、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興された。館内は、歴史博物館で秀吉ゆかリの品々、戦国時代、大阪城にまつわる資料、秀吉の作った組み立て式黄金の茶室の原寸大復元模型等を展示している。

〒540-0002 大阪市中央区大阪城1-1

TEL:06-6941-3044

千夜千冊

秀吉の野望と誤算

秀吉の野望と誤算全国の領土紛争をめぐる私戦を禁止する「惣無事(そうぶじ)」を宣言し、天皇の意向である「叡慮(えいりょ)」により領土処分権「進止」(しんし)を得たことで秀吉の国家経営システムのシナリオは頂点に達し、朝鮮出兵で瓦解。また朝鮮出兵は陶芸技術と朱子学を残す。

文責:旅鶴編集室

千夜千冊

笠谷和比古・黒田慶一
文英堂

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