宮崎神宮の創建は、神武天皇の孫にあたる阿蘇神社祭神、健磐龍命(たけいわたつのみこと)によると伝わる。宇佐八幡宮に仕える社人で、日向国の荘園領主の土持(つちもち)氏が鎌倉時代に社殿を奉納し、江戸時代、徳川幕府譜代延岡藩主の内藤家が篤く信仰した。宮崎神宮の名物、参拝餅は、神武天皇が日向市の美々津の浦から東遷の際、村人が献上した小豆をつきまぜた餅に由来。幸餅として人気。
〒880-0053 宮崎市神宮2丁目4-1
TEL:0985-27-4004
ギリシア・クノッソス宮殿出土のような土器。 伊勢湾岸の地域で、流行の弥生時代後期の土器。 布や皮を折り曲げ、回転させている土器の表面に当てて作る凹線文(オウセンモン)と、短い棒状の粘土ヒモを貼り付けた棒状浮文(フモン)で装飾された広く開く口縁と下ブクレの胴は、その地域の特徴。 器の面を塗り分けた赤色の顔料が、そのプロポーションを引き締める。
阿蘇市一の宮町にある当社は、阿蘇の山の神「健磐龍命」を祀る。山の神が、太古の湖阿蘇の外輪山の一部を蹴破り、鍋状の湖に貯められた水を西の熊本に流し、湖に棲む巨大なまずを退治し、人々に農耕を広め、開墾したという。その伝承に沿い阿蘇神社の参道は拝殿に向かわず、阿蘇山の高岳、中岳に向かい真っ直ぐ南に伸びる。
〒869-2612 熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1
TEL:0967-22-0064
北九州から日本に稲作、青銅器、海洋技術が定着する。本書は、中国の江南地域からの道で北九州に小国家「早良国(さわらのくに)」が生まれ、倭国の原型となり、アマテラスも大和朝廷の道も始まると推測。金印で有名な「奴国」が1世紀に「早良国」を支配し、有明海から吉野ケ里遺跡の筑紫平野へ移行し「邪馬台国」の時代がくるとする。
武光誠 学研M文庫
Tags : 宮崎神宮鎌倉阿蘇神社
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