中尊寺表参道月見坂上り口に近い当館は、奥州藤原三代と伊達時代の平泉を紹介する中尊寺の表玄関となる資料館。毛越寺、無量光院、二階大堂の模型、絵図を展示する。東京大学名誉教授藤島亥治郎氏監修、奥州藤原氏第3代当主秀衡が京都・宇治の平等院を模した無量光院復元模型で、奥州藤原氏の浄土景観思想がよくわかる。
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉字坂下10−7
TEL:0191-46-2011
明治時代に洋画壇をリードした黒田が、箱根・芦ノ湖でのちに妻となる女性、金田種子(当時23歳)を、異国的な雰囲気を醸し出すモデルとする。 パリで外光を描く技法を学んだ後、日本の夏の高地の湿気の空気を、淡くしなやかに描く。そして画面全体を包み込む。 1899年のパリ万博に満を持して出展した日本独自の洋画表現の作品。
その円満な表情と優美な佇まいは、平安後期の貴族的な仏像彫刻を代表する。阿弥陀如来像は典型的な定朝様で、12世紀前半の作とされ、両脇侍像も阿弥陀像とともに一具であると伝わる。金色堂に向かう参道月見坂を散策すると、小さなお堂の仏様、四季折々の桜、中尊寺ハス、菊、紅葉、そして雪景色もすべてが穏やかな平安朝。
〒029-4195 岩手県西磐井郡平泉町字衣関202
TEL:0191-46-2211
平泉藤原氏は、平泉の地に柳の御所の「北の都」と無量光院や毛越寺や中尊寺の「北方の浄土」を築く。平泉は都の京を模倣しながらも独創的だった。都には、末法思想により念仏結社や浄土庭園があったが、戦いの犠牲となった敵も味方も、獣・鳥・魚・貝などもひとしく鎮魂し、極楽浄土に導かれることを願う大きさはなかった。
工藤雅樹 無明舎出版
Tags : 中尊寺嚴島神社岩手県平泉文化史館毛越寺
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