鎌倉時代、生涯念仏遊行の旅に出る一遍。蒙古襲来の不安が社会に満ちる中、鎌倉に向かう。当寺は上人が遊行の途中、妙見菩薩の示現に会い相模川を渡った景勝地を修行の場に定めたことによる。本尊は頭部を上人自身が彫ると伝わる「木造一遍上人立像」。江戸後期伊豆や関東に念仏を広めた紀州生れの僧、徳本の念仏塔も必見。
〒252-0336 神奈川県相模原市南区当麻578
TEL:042-778-0284
トッキの鈕(チュウ)付ける蓋(フタ)つきの小さな容器。フタと胴が口縁部分で合う構造。仏前の供養のための器。 香水を入れる水瓶をおもわせるチュウに、丸く膨らんだ胴の部分に、ロクロ挽きでいくつかの線が刻まれ、わずかに装飾されている。そして容器の足の裾(スソ)、高台が広がり、安定し、また堂々としている。 また同形のものは、宗教目的の美しい石粒を入れる舎利(シャリ)容器、火葬の骨壷にもみられる。
当寺の総本堂、根本中堂には最澄上人自作の薬師瑠璃光如来が祀られ、御本尊に献じる灯りは、1200年間絶やさず菜種油を注ぎ「不滅の法灯」として護り継がれる。根本中堂から文殊楼を上り下り、延暦寺会館から急な坂道を5分ほど下ると法然堂。皇円阿闍梨のもとで鎌倉新仏教の魁、法然上人が得度した功徳院のあった旧跡。
〒520-0116 滋賀県大津市坂本本町4220
TEL:077-578-0521
時代は「悟りの仏教」から「救いの仏教」へ。そのことを突き詰めて、仏教を「編集」しなおして、断固として専修念仏を「選択」した法然には、きっと「情報」の足し算と「本質」の引き算が同時にできる才能があった。松岡正剛が法然を編集の視点で読み解く。
松岡正剛 NHK出版
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