708年、秩父山地に囲まれる秩父市黒谷で純度高く精錬を必要としない自然銅・和銅が出る。朝廷に献上され元号が和銅に改元、和同開珎が作られた。秩父は盆地の中央で、物資が集散し、荒川を下り、江戸から鎌倉や京へ運ばれた。江戸は秩父から始まる。明治に運行の主流を鉄道に譲ったが、今も秩父長瀞の歴史を体感できる。
埼玉県秩父郡長瀞町長瀞
TEL:0494-66-0950 (長瀞ライン下り案内所)
透かし彫りが美しい伊万里焼の箱の内には、卓袱(しっぽく)料理風の膳を置き、その周囲に羽織姿の男子、三味線・鼓・琴を奏でる女子や、扇をかざす女子、ウタゲの様子が楽しそう。 珍しく輸出用の伊万里焼で作られた、江戸時代制作のぞきからくり。科学技術の普及と見世物の流れを示す。
秩父神社の門前町は、古くからの物資の主産地で、大宮郷と呼ばれた。社殿と参道の南延長線上には武甲山があり、武甲山自身をご神体とする神奈備として遥拝する聖地が当社の地だった。武甲山の男神と秩父神社の女神の年一度の逢瀬を語る「秩父夜祭」は、秩父の信仰史と風土とが絡みあい、日本史を生み出した秩父の豪壮華麗を受け継ぐ。
〒368-0041 埼玉県秩父市番場町1-3
TEL:0494-22-0262
『万葉集』巻一冒頭で、雄略は英雄であって人間であることをあらわす。実像がきわめて鮮明な日本史誕生の母型をもった最初の大王。河内王朝が大きな頂点を迎え、そして象形された日本の母型のひとつは、東アジア社会のストリームとは決して無縁ではなかった。
岡田英弘 ちくま文庫
Tags : 埼玉県秩父長瀞鎌倉
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