天保13年(1842)、水戸藩9代藩主徳川斉昭は千波(せんば)湖に臨む七面山を切り開き、領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い偕楽園を造園する。そして約100品種、3000本の梅林は、2代藩主光圀の学問・研究への取り組みを象徴する。木造2層3階の別荘、好文亭の三階の楽寿楼は、東南の千波湖を望み、古書の文面を刻むなど内装建築には工夫と洒脱さがある。
〒310-0033 茨城県水戸市常磐町1-3-3
TEL:029-244-5454
春の桃の花まつりで有名な山梨県の笛吹市で出土。奇怪な顔と形の上半身。 目尻が鋭く吊り上がり、人の顔というより獣の顔。この顔の表現は中部の高地や関東地方西部で、縄文中期土器の人面がつく取っ手、人面把手(ハシュ)に共通する。 また胸に当てられた左手の三本指のサイン。同様に、この時期の土器につけられる、人体や動物の装飾にみられる。
当館は、徳川家康の遺品、駿府御分物(すんぷおわけもの)を中心に円山応挙、狩野探幽らの絵画、水戸藩に伝わる約6万点の什宝を所蔵。「大日本史」編纂着手の徳川光圀以来の水戸家の見識の源となる文化財、光圀ら家康の孫の世代が寄せ書いた梅の画賛などが、中国・六朝文化にならう学問に親しむ象徴として披露・紹介される。
〒310-0912 茨城県水戸市見川1-1215-1
TEL:029-241-2721
本書が語る水戸学は尊王攘夷思想の本来であり、根幹は徳川光圀の「大日本史」の編纂。編纂は滅亡した明朝渡来の朱舜水らの朱子学の理に立ち、幕府の歴史書と別に朝廷の正統性から歴史を読み解く前期と、国学とともに尊王攘夷の思想につながる後期からなる。後期は列強船渡来、天保の大飢饉、大塩平八郎の乱の頃に深まる。
ヴィクター・コシュマン ぺりかん社
Tags : 偕楽園茨城県
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment