当館は平成10(1998)年にオープン。蘇峰は山中湖の自然を愛し、昭和7~20年の間、毎夏山中湖を訪れ、双宜荘(そうぎそう)と名づけた別荘に滞在した。ジャーナリスト、歴史家、政治家、そして大正7年56歳から「近世日本国民史」の著述をはじめ、 35年間の歳月の末、全100巻を完成させた。蘇峰の骨太な人生に触れられる。
〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野506-296
TEL:0555-20-2633
大正12(1923)年に関東大震災。明治政府のお雇い外国人、ジョサイア・コンドル(1852-1920)が設計の赤レンガ造の旧本館は被災。 旧本館にかわり、現在の本館が、渡辺仁(1887-1973)と内司寮(宮内省)設計、大林組の施工で、昭和12(1937)年竣工し、翌年開館する。 正面玄関は大階段。現代、銀行本店、裁判所他の設定で、テレビドラマやミュージックビデオでも登場する。 吹き抜けの格天井、一部は採光する屋根。大理石の手すりに、アール・デコ・スタイルの照明。大震災で被災した来館者への想いも重なる。
「島は沈没し浮上した」—700万年前、この地域は砂岩の塊の化石が示すように古代の富士川の水路を介して太平洋に接続していた。土器の文様がしますように近くの縄文集落は、5,000〜4,000年前に、現在の富士川を介して海とつながっていた。当館のメインゲート脇に展示の砂岩の塊の化石は、約700万年前の富士川沿い「古富士川海峡」は出土したもの。海峡にクジラやサメ、イワシ、海岸に貝やウニの生物が住んでいたことを示す。
〒406-0801 山梨県笛吹市御坂町成田1501-1
TEL:055-261-2631
維新以前は尊王攘夷、維新以後は自由民権、やがてアジアに向う国民的膨張の蘇峰。幕末熊本・肥後の横井小楠門下の家に生まれ、明治に、京都の同志社でキリスト教の洗礼を受け、国民新聞を発行。本書は蘇峰の晩年、35年書き続けた織豊期から明治初期の「近世日本国史」全100巻の孝明天皇期。第二維新を求めた蘇峰の起点!
徳富蘇峰 講談社学術文庫
Tags : 山中湖文学の森山梨県徳富蘇峰館
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