平安時代、空海創建の修禅寺に由来する当寺は伊豆国随一の禅院と言われ、地名は禅を善にかえた。鎌倉時代、建長寺開山の蘭渓道隆が修禅寺を改宗し、その道場の寺名を遠く大陸まで広める。当館は空海の独鈷、頼朝の弟・範頼の馬具、北条政子の般若経とともに「修禅寺物語」に由来する二代将軍・源頼家の顔を模した古面を所蔵。
〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺964
TEL:0558-72-0053
中国(北宋・南宋)の皇帝に尊敬された禅僧、圜悟克勤(エンゴ コクゴン1063-1140)が、悟りを開いたと認めた弟子に、与えたお墨付きの書。印可状の前半部分で、最古の現存する墨蹟、禅僧の筆跡。その書が鹿児島・坊津(ボウノツ)海岸に流れ着く。またの名が生まれる、流れ圜悟。 禅の中国への伝来、分派の経緯を述べ、禅の精神を説く。書は破格でも、厳格な修行を経て達した味わい。何があっても、淡々と、—偉大な茶人が愛した書。
紀元前の創設とも伝わる当社。伊豆山は山自体が信仰の山で、弘法大師も入峰したと伝わる修験道の聖地。境内はホトドキスの名所、こごい、子恋の森、 の一部で、伊豆の海や相模灘を一望でき、遠くは御神火(ごじんか)の島、伊豆大島が、夢の様に浮かぶ。祭神は伊豆大神。源頼朝の信仰篤く源氏再興を祈願し、鎌倉幕府が「関八州鎮護」とした社格が保たれる。
〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山上野地708-1
TEL:0557-80-3164
「明治が鎌倉の終わり」。著者が、鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」を読みこんで作りあげた歴史小説で、後鳥羽上皇との承久の乱を幕府の勝利に導き尼将軍といわれ、後世悪妻扱いされた北条政子の実像に迫る。3年連続で頼朝、頼家、実朝と夫と二子を次々に失い一心不乱に神仏詣でをする政子の悲嘆を書き、並々ならぬ母性を描く。
永井路子 文春文庫
Tags : 修禅寺建長寺金銅八仏種子五鈷鈴鎌倉静岡県
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment