縄文弥生の遺跡や古墳時代「井の国の大王」が聖水祭祀を務めた遺跡や古墳が残る奥浜名湖北の台地、、浜名湖に注ぐ川沿いに当寺は佇む。当寺は733年に行基菩薩が開創した、後に近江に移る井伊家40代の菩提寺。江戸初期に小堀遠州が作庭した本堂北庭の池泉鑑賞式庭園は、瀧や渓谷を表現する石組みと築山全体で鶴亀を表す。井の国の大王も憧憬する。
〒431-2212 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
TEL:053-542-0480
半筒形の茶碗は天正年間(1573-1592)後半に流行する。 柔らかいモグサの土を使い、真円でなく、高低がつく茶碗の口縁、少し張りのある胴。胴を載せる台、高台(コウダイ)の裏側は、粘土を貼り付けた無雑作な、シイタケの裏のような表現の椎茸高台。 鉄を含む鉱物を砕き塗り、筆で絵を描き、白いユウヤクをかけて焼く。 白い茶碗に、鮮やかな緋色(ヒイロ)の鉄絵。 温もりと振動のイマジネーション。
天竜川下りは、諏訪湖から伊那谷を通り太平洋に注ぐ暴れ天竜川を鮮やかな櫓(ろ)さばきで下る。両岸に聳(そび)え立つ岸壁や奇岩により、山水画を彷彿させる奇勝の天竜峡を下る。船上からは、川に棲む龍が昇天した際突然できた龍の化身と伝わる龍角峯など、十の奇岩の天竜峡十勝が望める。渓谷の狭くて高い空、仙境的な気配を実感する。
長野県飯田市松尾新井
TEL:0265-24-3345 (天竜舟下り株式会社)
全5巻に計47人の画人が登場。1人あたり40~70頁ずつほどの丹念な案内を、刹那の文章写真のように走ることになる。尾形光琳(1658生)。雁金屋は染め縫いが商いだから、きっと光琳はああいう絵になり、茶事を存分に嗜んでああいう省略が得意になった。
村松梢風 中央公論社
Tags : 本朝画人傳花下遊楽図屏風静岡県龍潭寺
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment