名古屋城は織田信長が誕生した那古野城跡に建てられた。徳川家康が筏を組み木曽山から、桑名、名古屋へと檜を運び、従来にない層塔型で安定感がある中に細やかな意匠を凝らす天守閣を築城した。この庭園は二代藩主・光友の隠居所・大曽根屋敷。土地の高低差を活かし、御嶽山から伊勢湾に注ぐ木曽川を表した池泉回遊式の大名庭園である。
〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1001
TEL:052-935-8988(徳川園管理事務所)
半筒形の茶碗は天正年間(1573-1592)後半に流行する。 柔らかいモグサの土を使い、真円でなく、高低がつく茶碗の口縁、少し張りのある胴。胴を載せる台、高台(コウダイ)の裏側は、粘土を貼り付けた無雑作な、シイタケの裏のような表現の椎茸高台。 鉄を含む鉱物を砕き塗り、筆で絵を描き、白いユウヤクをかけて焼く。 白い茶碗に、鮮やかな緋色(ヒイロ)の鉄絵。 温もりと振動のイマジネーション。
当館は尾張徳川家伝来の大名道具の数々を所蔵展示する。家康着用の具足。兜は水牛の角を象り、具足全体に熊の毛を植え付け、黒い糸で威す。全身真黒で、真紅の面頬が鮮やかに際立つ。戦国時代からの当世具足の特徴をよく示した奇抜な意匠。家康の遺品として重宝され、江戸時代名古屋城小天守内に特別の場所を設け安置された。
〒461-0023 愛知県名古屋市東区徳川町1017
TEL:052-935-6262
姓と苗字は歴史的に別のもの。姓は同祖の氏のランク付けをあらわすカバネ、苗字は私称。源氏は、源氏姓を統轄する長者を表し、武家の棟梁となった頼朝より将軍の系譜となる。そして明より日本国王に封ぜられた足利義満以来、将軍が国王となる。本書は、徳川家は源氏長者と将軍になることで、実質の国王を誇示しえたと語る。
岡野友彦 講談社現代新書
Tags : 名古屋城徳川園愛知県
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