当園は、海を埋め立て造成した浜御殿の一部を、幕末の慶応2(1868)年、7代藩主伊達宗紀が、鬼ヶ城連峰を借景に池泉回遊式の庭園を築庭したもの。伊達家の祖先である藤原氏に因み多くの藤が植えられている。名の由来は、伊達政宗晩年の詩の、『残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん』。幕末の見識ある藩主の覚悟が見える。
〒798-0065 愛媛県宇和島市天赦公園
TEL:0895-22-0056
台座の棒を回すと、三味線の音に合わせて回転する、からくり輪舞人形。 繊細な細工のミニチュア、ひなを、愛おしく感じる日本人。イマジネーションを楽しむ、それは美。 —江戸時代後期の雛壇には、いくつものお内裏さまやお雛さまを飾り、京都の御所人形や小ぶりの木目込み人形、加茂人形、郷土の人形も一緒に並べた。そして動くしかけの繊細な細工が施された人形も飾られた。
江戸文化・文政期(1804-30年)に朝顔の突然変異を利用した変化朝顔を競い合うことが大坂・京都・江戸で流行。嘉永・安政期(1848-60年)には、周辺の都市・町に広がる。23世紀後半、都市の武士や富裕な町人、僧侶に「奇品」の育成がブーム。明治・大正期の奇花・奇葉を楽しむ変化朝顔ブームにつながる。
〒285-8502 千葉県佐倉市城内町 117
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
限りない願望と限りある無常が交差する鎌倉末から南北朝期、卜部氏の流れの神職の家に生まれ、仏教修行し、和歌に精進した兼好。「人のけしきも夜のほかげぞ、よきはよく」、「にほひもものの音も、ただ夜ぞひときわめでたき」、「まどひの上に酔へり、酔の中に夢をなす」。所在なくつれづれに、願望と無常の境を説明する。
吉田兼好 岩波文庫
Tags : 天赦園愛媛県
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