京都府と大阪府に跨る標高217mの甘南備山。平安京造営時、北の船岡山とこの山を結んだ線を基に朱雀大路を造ったとも言われる。山頂付近の式内神奈備神社は、今昔物語に登場し、周辺には継体天皇の「筒城宮」があったと記紀に記載される。一帯は森林公園で、四季折々の風情と八幡市から京都市街地までの眺望が楽しめる。
〒610-0341 京都府京田辺市薪甘南備山
TEL:0774-68-2810 (京田辺市観光案内所)
鎌倉時代初期の歌人藤原定家(1162-1241)の日記、『明月記』は、治承4年(1180)から嘉禎元年(1235)までの56年間に渡り、詳しく記録されている。本品は天福元年(1233)6月の記。その時定家は72歳で,正二位権中納言。1日条より29日条までの記事を収められ,定家の晩年の筆の特徴が顕著。
寛弘4(1007)年、藤原道長が金峯山に参詣し、山頂に埋納した法華経などの経巻を入れた経筒。埋経の経筒としては最古の遺品で、銅製で高さ36.4センチ。蓋はちょうどお茶筒のようにすっぽりと被り、金があつく塗られた表面にたがねで線刻された文字・銘文は縦書きで納めた趣意が500字にわたって記されている。
〒605-0931 京都市東山区茶屋町527
TEL:075-525-2473(テレホンサービス)
“日本では神があらわれることを、来臨とかおとづれと言います。いい言葉です。「おとづれ」はもともと「音連れ」と綴りますから、そこにさわさわっといった音だけがしたというようなニュアンスです。”日本の面影の源流を解く、松岡正剛の衝撃の日本論の第3弾。
松岡正剛 春秋社
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