勝竜寺城跡地は、今史跡調査後資料展示室、櫓や庭園を備えた当園となる。細川幽斎は、信長から勝竜寺城の城主を任じられ、子の忠興はこの地で明智光秀の娘玉と結婚式を挙げる。勝竜寺城近くの山崎で天下分け目の秀吉と光秀の戦い。光秀の援軍要請を断った幽斎は剃髪し、家督を忠興に譲り、勝竜寺城を出る。玉は離縁幽閉され改宗。
〒617-0836 京都府長岡京市勝竜寺13-1
TEL:075-951-4500(長岡京市観光協会)
佐倉藩藩士の子供で花鳥画を学んだ浅井。文明開化で、パリ万博の監査官として留学したフランスから帰国後、京都に移住。明治36(1903)年、京都の自宅に聖護院洋画研究所を開き指導に当たる。 その自宅近くの聖護院から描いた水彩画の日本の風景の作品。 パリの南63km、水辺のグレー村を訪ね光の描写を研究した浅井は、留学前の作品に比べ、光の整え方は格段に丁寧になる。
熊本市の当園は、阿蘇伏流水の湧水の池に建立された水前寺の寺周囲につくられた桃山式池泉回遊の細川家の大名庭園。園内各所に東海道名所の見立てを作庭される。そしてここには、近世細川家初代・幽斎が桂家の初代、桂離宮を造る八条宮親王に古今和歌集の奥義を伝授した「古今伝授の間」が京都御苑から移設されている。
〒862-0956 熊本市中央区水前寺公園8-1
TEL:096-383-0074
「夫の細川忠興には決意を秘めてキリシタンに走っても、父の明智光秀に背いたことはなかったという」。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの7月17日の夜、西軍の重要な人質、大坂の細川ガラシャは、邸宅に火を放ち38歳で昇天し、東軍徳川を勝利に導く一因となる。最後に逆臣光秀の娘の恥を見事に雪(そそ)ぐと本書は語る。
三浦綾子 新潮文庫
Tags : 京都府勝竜寺城公園史跡
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