室町時代、能書家の後小松天皇のご落胤といわれる一休禅師も能書家で、わび茶の村田珠光の師。死ぬ間際にその境地を詠む遺偈に、一休の禅は、死ねば誰も理解できないと残す。その悟りの境涯は、中国風狂のスタイルと世俗を超える雅さがかさなる風流。時代を超えて慕われ続ける一休の美意識、当庵に一休禅師の遺偈が所蔵される。
〒610-0341 京都府京田辺市薪里ノ内102
TEL:0774-62-0193
北朝最後の天皇、後小松天皇の御落胤と言われる室町時代前期の禅僧,一休宗純(1394-1481)の肖像画。生々しい印象。画面上方の一休自作の賛を書いたのが弟子の墨彩。この作品はもともと一つの作品ではなく、60歳代以降の一休像の下絵として使われていたものに、墨彩の筆を一緒にして表装、仕立てられたと推測。
当御所は寛永4(1627)年、八条宮智仁親王の甥、後水尾上皇の為、退位後に内裏から退去する御所として造営された。その庭園は綺麗さびの小堀遠州による作庭である。回遊式庭園の二つの池の間には藤棚の美しい八ツ橋がかかる。まさに近世・慶長の美の結実がそこにある。常に石組みなどの締めを置く、華麗なる美の展覧。
〒602-8611 京都市上京区京都御苑3
TEL:075-211-1211(代)(宮内庁京都事務所)
引き算の美とは?“そういう表現の傾向は、応仁の乱をはさんで日本に少しずつ広まっていた。それが枯山水の試みとか、能の省略法とか、村田珠光の侘茶の発見にも及んでいたんですね”侘び寂びアバンギャルド。日本美術の見方が一変する衝撃の日本論 第4段。
松岡正剛 春秋社
Tags : 一休寺京都府酬恩庵
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