龍野城は江戸時代の藩主脇坂安政が再建した山麓の本丸御殿を復元。城下町は小京都と呼ばれ、武家屋敷や商家・寺町が昔ながらの風情を残す。養子の三代目安政は、近江出身の初代安治が伊予肱川の大洲藩、二代安元が信州天竜川の飯田藩で取り組んだ城改築・城下町整備を受け継ぎ、地への感謝を母とする美をたつ野に残した。
兵庫県たつの市龍野町
TEL:0791-64-3156 (たつの市産業部商工観光課)
痩身で、装身具も簡素な足を組み瞑想する菩薩像。 666年朝鮮半島で百済が滅ぶ。多数の王朝の民が日本に亡命。 朝廷の役人が、亡くなった半島出身の妻のために願いを込めた仏像。 —ハンカする台座の枠に「高屋大夫が亡き韓夫人のために」と刻まれ、仏像の痩身や腰から垂れる帯飾りで、朝鮮三国時代の仏像との関連も濃い。
古代より砂鉄を多く産した中国山地に源を発し、播磨灘に注ぐ揖保川。当館では、揖保川に沿った歴史、石器・縄文時代、弥生・古墳時代を出土遺物で紹介する。当像は、龍野町圓覚寺に伝わった像高11cmの飛鳥時代の金銅仏。弥勒菩薩像とも呼ばれ、銅の鋳造で鍍金を施す7世紀半の造像。大陸・半島から文明伝来の道を示す。
〒679-4179 兵庫県たつの市龍野町上霞城128-3
TEL:0791-63-0907
本書は、幕末維新の日本に滞在した外国人の感想記のみを素材にして、失われた日本の面影を案内する。「日本は貧乏であっても貧困ではなかった」、「この進歩は、ほんとうにおまえのための文明なのか」、「日本はこれまで実に幸運に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出会うかと思えば、恐ろしさに耐えない」など。
渡辺京二 葦書房
Tags : 兵庫県揖保川とたつ野龍野城
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