千曲市の姨捨は月の名所。対岸の鏡台山からのぼる名月と月影を宿す棚田は、古来より田毎の月と呼ばれ人々の心を慰めた。その絶景は松尾芭蕉も句に詠み、星空の中、千曲川に沿った夜景が善光寺平まで広がる。棚田にのぞむ当寺は天台宗の古刹で、境内に多くの句碑・歌碑が並ぶ、文人墨客にこよなく愛された俳諧の聖地である。
〒387-0023 長野県千曲市八幡4984
TEL:026-261-0300(信州千曲観光局)
鎌倉時代初期の歌人藤原定家(1162-1241)の日記、『明月記』は、治承4年(1180)から嘉禎元年(1235)までの56年間に渡り、詳しく記録されている。本品は天福元年(1233)6月の記。その時定家は72歳で,正二位権中納言。1日条より29日条までの記事を収められ,定家の晩年の筆の特徴が顕著。
長野県千曲市姨捨は、古今和歌集に月の名所と詠われる。また近世狂言本には、春、水を引いた斜面の棚田一枚一枚に月影が映ると描かれる。広重もその記述を描く。しかし月はひとつしか出ないので、時間経過をあらわす情景とも、また幽玄さをあらわすとも受け取れる。千曲川に沿う姨捨は寒暖差から霞立つ、風狂の美の芭蕉も訪ねた地。
〒509-7201 岐阜県恵那市大井町176-1
TEL:0573-20-0522
西行に学び「滑稽」から「風雅」に転じた芭蕉は才気の人ではない。旅を通じ充実していった。いや、頂点にのぼりつめていく。そしてこの奥州の旅で遊行乞食の意識と観念を磨ききる。そして旅の終点にする伊勢は、芭蕉がつねに風狂の覚悟の地と意識していた。
松尾芭蕉 角川ソフィア文庫
Tags : 千曲川善光寺長楽寺長野県
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