瀬戸内市牛窓は古代から瀬戸内海の潮、風待ちの湊。牛鬼を住吉明神が投げ倒した伝説から牛が転ぶ、まろぶが牛窓の名の由来。江戸時代には岡山藩がこの地で朝鮮通信使をもてなした。そしてこの町の夕陽は、日本の夕陽百選に選ばれた。鎌倉時代、この地の夕陽がかさなりあうように計算されて快慶作阿弥陀仏如来立像が祀られた。
岡山県瀬戸内市牛窓町
TEL:0869-34-9500 (牛窓町観光協会)
フタエにあどけない童子の姿。唇はごくわずかに朱色。右手で胸に垂らす飾を押え、左手で天衣をとり、端正に直立する。装身具や衣、台座の縁を特殊な彫刻刀(タガネ)で、丁寧に、丁寧に2個1組の小さな点が並ぶ複連点(フクレンテン)の文様を打ち出す。そうして気品が、醸し出された。—台座の枠、かまちに線刻した各狭間の内部には、墨を塗った痕跡もある。
日本書紀にある難波宮は、大阪城の南、古代大阪・上町台地の北端にあった。中国式の礎石建、瓦葺屋根の聖武天皇の宮殿に対して、80年前の孝徳天皇の宮殿は、日本古来の、地面に掘立柱を立て、屋根は板葺または檜皮葺である。東西185m、南北200m以上の内裏、前左右に中国式八角形の楼閣状の建物があるものだった。
〒540-0006 大阪市中央区法円坂1
TEL:06-6943-6833 (大阪市文化財協会)
徳川幕府第六代将軍家宣に仕えた新井白石は、進取の気性をもち元禄バブルの崩壊後の国の設計に取り組む。将軍の対外称号を「大君」から「国王」への変更、朝鮮使節の待遇改善などを処理し、金銀の海外流失や貿易の節度に関心をもち、貨幣主義と貿易不要論を貫く。本書は白石の人生の苦節と幕政改革の工夫と苦労を語る自伝。
新井白石 中公文庫
Tags : 岡山県牛窓町鎌倉
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