延養亭(えんようてい)から望む築山(唯心山)を、操山(みさおやま)に登る月の位置と時を測り、建物前水の流れの曲水風景をかさね、どこにでもある田園風景を計算し視線の先に置く。日本では古代より自然に畏敬の念を抱き、武士の美は自然のいのちを取り込んで生きる力とした。
〒703-8257 岡山市北区後楽園1-5
TEL:086-272-1148
立原杏所(1786~1847)は水戸藩の藩士で、また絵師ではない人が描く文人画の南画家。父は、水戸藩の修史局、彰考館(ショウコウカン)艦の総裁をつとめ、黄門さまの徳川光圀(1628-1701)の遺命である『大日本史』の編纂に尽力した、立原翠軒(スイケン 1744-1823)。 杏所の画のスタイルは謹直で穏やかなのだが、酔いにまかせ描くこの作品は、大胆で奔放。フラットで温暖な中国・江南の風土から生まれた、とらわれることなく自然の風情を描く画が、南画。
17世紀中頃、後水尾上皇の指導の下、江戸幕府が造営した当離宮。我が国を代表する借景の手法を採り入れた庭園。松並木道が結ぶ上、中、下三つの離宮の間に田畑が広がる。回遊式庭園の上離宮から、谷から流れる川をせき止めた浴龍池、遠方の山容を借りた里山の景色を船から眺める。万葉集から続く王朝文化の美の頂点がある。
〒602-8052 京都市左京区修学院薮添官有地
075-211-1211(代)(宮内庁京都事務所)
江戸時代初期、慶長文化につづく寛永文化。沢庵、柳生宗矩、宮本武蔵、本阿弥光悦、千宗旦、小堀遠州、金森宗和。多々の才能が集う当時のサロンで、新たな型が確立される。頂点は後鳥羽院以来の和歌好きの後水尾院のサロン。やがて壮大と細心を独創的に構成する修学院離宮に結実。本書は、雅なかぶきものの遊芸文化を語る。
熊倉功夫 朝日新聞社
Tags : 岡山城岡山後楽園
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