備前市の中心街、片山湾を見下ろす茶臼山公園。公園からの真光寺にかけての景観も素晴らしい。当寺は奈良時代からの歴史を持ち、江戸時代岡山藩の庇護をうけ1613(慶長18)年に瀬戸内市牛窓の廃寺から三重塔を移設。高さ18.2mの塔は軒先の強い反りや上層になる程小さくなる室町時代の特徴をよく伝える。
〒705-0021 岡山県備前市西片上1513
TEL:0869-64-3301 (備前市産業観光課)
フタエにあどけない童子の姿。唇はごくわずかに朱色。右手で胸に垂らす飾を押え、左手で天衣をとり、端正に直立する。装身具や衣、台座の縁を特殊な彫刻刀(タガネ)で、丁寧に、丁寧に2個1組の小さな点が並ぶ複連点(フクレンテン)の文様を打ち出す。そうして気品が、醸し出された。—台座の枠、かまちに線刻した各狭間の内部には、墨を塗った痕跡もある。
当塔は、応仁の乱で敗死の大内義弘の菩提を弔うため弟盛見により建立。上層ほどより細くなり、軽快な反りをみせる檜皮葺の屋根と美しく調和し大内文化を優雅に伝える。雪舟は応仁の乱が始まる年、大内氏の遣明船で渡海し、大内氏は応仁の乱以降、博多や兵庫を拠点とし、堺を拠点の細川氏と争うも、明の勘合貿易も独占していく。
〒753-0089 山口市香山町7-1
TEL:0839-24‐9139
義満は明へ通交と通商を求める使者を送り、日本国王源道義と建文帝に認めさせる。東アジアの明の冊封体制に組み込まれ、勘合貿易が認められ、明銭が返礼される。しかし義満の狙いは、国内で天皇の上に出ることの成就。本書は義満の王権簒奪計画を“立証”する。
今谷明 中公新書
Tags : 岡山県茶臼山真光寺
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