「この場所はかつてシベリアとつながっていた」—モヨロ貝塚、この遺跡は、北の人々が1200年から1300年前に移住した網走川の河口にある。 アムール川沿いのツングース族の遺物が発掘された。 一例は、家父長制のシンボルである青銅の鈴。大正2年(1913)に発見された遺跡は、後に平安期に千島列島、サハリン、アムール川流域を広域交流した北の民族が網走に移り住んだ遺跡と判明。当館では、古代の広域交流が伝えられる。
〒093-0051 北海道網走市北1条東2丁目
TEL:0152-43-2608
モチーフは和様の鍋島焼には珍しい、中国の水墨画を手本とした絵画風で、鍋島焼の最盛期、18世紀初頭の作品。白地に酸化コバルトで下絵を描き、ガラス質のユウヤクをかけて焼く。ソメツケという青いモノクロ表現。その迫真的な描写。 肥前・佐賀の鍋島藩の鍋島焼は、献上品や贈答品として、徹底して技巧を追求。 焼物の絵とは思えない世界!
流氷はシベリアのアムール河から千km旅して、毎年1月下旬頃にオホーツク海に接岸する。アムール河の真水が流れ込み、海面に塩分の薄い層ができると、海水は凍りやすく、大きな流氷へと成長する。大正2年、網走でアイヌ文化と異なる遺跡モヨロ貝塚を発見。後にアムール河と繋がるオホーツク文化の遺跡と明らかになる。流氷と貝塚は重なる。
〒093-0044 北海道網走市天都山244-3
TEL:0152-43-5951
芭蕉が「閑さや岩にしみ入る」を詠んだ山形・山寺。立て岩を崇拝し、また奥の院に幼ない時になくなった子供たちを結婚した若い夫婦として描いた絵馬が納められる。これは東アジアにも見られる風習。梅原は芭蕉の旅の意図が日本の深層への旅だったと思えた。
梅原猛 集英社文庫
Tags : モヨロ貝塚館北海道史跡
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