橋立町は江戸から明治期、蝦夷や大阪などから物資を運ぶ北前船交易で富を築いた船主の屋敷が建ち並び、「日本一の富豪村」と呼ばれた。淡緑青色の笏谷石(しゃくだにいし)を使った石垣や、船底の板を再利用した塀、赤瓦などが町の景観をなし、かつてこの町が栄華を誇った頃の面影を見いだせる。
石川県加賀市橋立町
TEL:0761-72-7888(加賀市教育委員会文化課)
氷河が溶け、黒潮がどんどん北上した縄文時代・早期に出現した土製の焼き物。女性を誇張、デフォルメした像が多い。 その身体の中は空っぽで、目は眼鏡をかけているように大きい。北方民族(イヌイット)の雪の中で使う、光除けの「遮光(シャコウ)器」のよう。 また東北地方の縄文時代・晩期土偶の特色。
大阪城は戦国時代の石山本願寺を前身とし、豊臣秀吉による築城、大坂の陣による落城、徳川幕府による再築と、日本の歴史とつねに深いかかわりを持ちながら現在に至っている。現在の天守閣は、豊臣時代・徳川時代に続く3代目で、昭和6年(1931)市民の寄付金によって復興された。館内は、歴史博物館で秀吉ゆかリの品々、戦国時代、大阪城にまつわる資料、秀吉の作った組み立て式黄金の茶室の原寸大復元模型等を展示している。
〒540-0002 大阪市中央区大阪城1-1
TEL:06-6941-3044
西鶴自身あるいは友人の西吟は、『好色一代男』を「転合書」と呼んでいた。転合とは「ふざける」「おかしい」「変な」「ざれごと」といった意味であるが、文字通り「転じて合わせる」ということでもあって、西鶴はこの世之介の物語を源氏五四帖に見立てる。
井原西鶴 岩波文庫
Tags : 加賀橋立石川県赤瓦
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