天龍寺船派遣献策して、京都五山筆頭の天龍寺を建立した夢窓疎石が開創した当寺。正和2(1313)年、長瀬山麓で夢窓一行は白馬に乗る化身の観音に出会い、聖観世音菩薩像が残された。夢窓国師は本尊として観音堂を建立。観音堂前の庭園に臥竜池があり、反り橋の無際橋が架かる。その景観に、唐物荘厳の世界が重なる。
〒507-0014 岐阜県多治見市虎渓山町1-40
TEL:0572-22-0351
京都・曼殊院に伝来の「秋景山水図」「冬景山水図」。もとは、四季山水図4幅があり、その内の2幅であった可能性がある。 細い線で簡略化した、岩や山の表現。安定感のある構図に力強い筆使い。 「秋景」は山や建物を下に集め、広がる空間は上に、 「冬景」は岩や山を上に反時計周りの螺旋状、画面空間に意図的に奥行きを作る。 古典的な描写法を捉われずに組み合わせて、たどり着けないほどに、美を造形する。
禅宗寺院の法堂は、住持が仏法の要諦を説く最重要伽藍。当寺の法堂は、1605(慶長10)年豊臣秀頼建立最古・最大の法堂建築。1788(天明8)年の大火で法堂を守った天井に描かれる仏法守護八神の「鳴き龍」。堂内中央で手を叩くと、床と天井面の仕組みでカラカラ音が返る。狩野永徳長男で知的で静謐な光信の筆。
〒602-0898 京都市上京区今出川通烏丸東入
TEL:075-231-0301
義満は明へ通交と通商を求める使者を送り、日本国王源道義と建文帝に認めさせる。東アジアの明の冊封体制に組み込まれ、勘合貿易が認められ、明銭が返礼される。しかし義満の狙いは、国内で天皇の上に出ることの成就。本書は義満の王権簒奪計画を“立証”する。
今谷明 中公新書
Tags : 岐阜県虎渓山永保寺
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