長良川に面する当社は、背後鶴形山の暖地性植物自然林の鎮守の杜に包まれる。奈良時代の越前の名僧泰澄大師が創建と伝わる壮麗な社殿。洲原神社は、参詣者が上がり千人・下り千人といわれた白山登山、白山信仰の前宮。徳川二代将軍の病気平癒を祈祷し、歴代将軍の信仰も深く、尾州藩御用の神官氏族の十社家の一つとして、毎年御領内の五穀豊饒も祈願した歴史が受け継がれる。
〒501-3706 岐阜県美濃市洲原468-1-1
TEL:0575-32-2363
6曲一双、江戸幕府の御用絵師、狩野長信(カノウナガノブ 1577-1654)の筆。 豪華な遊楽図のように、背景に金色と青緑色の金碧(キンペキ)ではなく、水墨画の技法。落ち着いた背景で匂うように浮き出たさまが優雅。室町幕府の将軍に使えた、長信の祖父、狩野元信(モトノブ 1476-1559)が、花鳥画に用いた手法を使う。 戦国時代からの動乱が収まり、江戸幕府のもと平穏な時代がくる予感。 そして、水墨で描かれたお山が見守っている、日本は、やっぱりお影様。
当天守閣は1612(慶長17)年、徳川家康が、最高技術を要する天守石垣は「武者返し」の加藤清正、作事奉行に京都・仙洞御所の小堀遠州を使い完成。筏を組み木曽山から川下り、桑名、名古屋へと檜を運び、従来にない層塔型の安定感の中に細やかな意匠を凝らす。その遠州風天守閣上には火除に水を呼ぶとされる鯱を飾る。
〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1-1
TEL:052-231-1700
民衆史の観点から日本史をよみなおす。本書の舞台は、南北朝の動乱期。天皇や神仏の直属の民、非人と呼ばれた職能民の一群があった。鋳物師、木地師、傀儡師、白拍子でもあった。街道や港を自由往来し、各地から律令制度外の貢ぎ物を天皇に届ける。職能民の女性たちは各地の伝承を物語化する中世の語り部集団でもあった。
文責:旅鶴編集室
網野善彦 筑摩書房
Tags : 岐阜県洲原神社
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