平安時代、豊前修験道の聖地、求菩提山で修行する山伏たちは、末法の世で仏法が滅ぶことを案じ、銅板に法華経八巻と般若心経とを刻み、後の世に伝えようと山中の洞窟に埋経した。それが当資料で、銅板経三十三枚と四面に阿弥陀三尊、釈迦と多宝の二如来、不動明王、毘沙門天が線刻された銅筥とが完全な形で残る稀少例。 ※求菩薩資料館では銅筥のレプリカを展示しています。
〒828-0085 福岡県豊前市大字鳥井畑247(求菩薩資料館)
TEL:0979-88-3203
扇の形の紙を冊子にし、法華経の守護神を平安貴族女性の姿にし、貴族や庶民の暮らしを描く。法華経10巻などを書き写す当作品は、この時代に慈しみ楽しまれた紙扇の絵の様式を伝える唯一の遺品。 雁皮(ガンピ)を原料として、光沢があ理、滑らかな上質の鳥の子紙(トリノコガミ)に、雲母(ウンモ、キラ)の粉を、地塗りして、薄く延ばした金・銀の切箔(キリハク)を散らす。月夜に、絵柄を透かして煌(キラメ)く。
寛弘4(1007)年、藤原道長が金峯山に参詣し、山頂に埋納した法華経などの経巻を入れた経筒。埋経の経筒としては最古の遺品で、銅製で高さ36.4センチ。蓋はちょうどお茶筒のようにすっぽりと被り、金があつく塗られた表面にたがねで線刻された文字・銘文は縦書きで納めた趣意が500字にわたって記されている。
〒605-0931 京都市東山区茶屋町527
TEL:075-525-2473(テレホンサービス)
鎌倉からの中世を、密教を中心に神道的なものも含め、寺社体制を組み入れ、宗教の世俗化を促進させたと本書は読み解く。武士が中心となってリアリズムを求めただけでないと。法皇、八幡宮、神宮、中国・唐から舶来した知識やシステムを選択し、神と結びつけ仏教を広め、古代からの王法と仏法をかさね構築する日本が見える。
黒田俊雄 法藏館
Tags : 国玉神社福岡県
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