日本海へ滔々(とうとう)と流れる信濃川が貫く豪雪地帯、長岡。幕末・明治の戊辰戦争と第二次世界大戦で壊滅的被害を受けるも復興。「実学を学びたい」と33歳で西国遊歴に出た河井継之助。道中紀行を「塵壷」に書き記す。当館は、近代化を理解し目指すも、戊辰戦争で政府軍と戦う長岡藩の指揮官となる継之助の思想や精神を紹介する。
〒940-0053 新潟県長岡市長町1丁目甲1675-1
TEL:0258-30-1525
子供の豆鉄砲の遊びに託し、戊辰戦争(慶応4(1868)年1月~明治2(1869)年7月)を風刺した浮世絵。 向かって右が奥羽越列藩同盟側。左が新政府側。 着物の模様などで藩を示す。竹に雀の家紋から、竹柄の着物が仙台藩、萩藩の別名から、萩柄の着物を着る長州藩。 —オツペケペ。オツペケペツポー。ペツポーポー!
東京大空襲で消失の弁天堂は、昭和33(1958)年に鉄筋コンクリートの八角堂として再建。八角堂は、古代から阿弥陀仏や観音菩薩を安置する建築形式。寛永寺は、家康・秀忠・家光の将軍の帰依を受けた慈眼大師天海大僧正により創建。東の比叡山として山号し、不忍池を琵琶湖とし、弁天堂を観音霊場の竹生島に見立てた。
〒110-0002 東京都台東区上野桜木1-14-11
TEL:03-3821-4440
本書は幕末維新から日清戦争、三国干渉まで見て海舟の談話をまとめる。幕末では西郷隆盛、横井小楠の人物を評価し、維新では名主や自身番など江戸期の工夫を活かした地方自治を提案し、将来では中国は人民の社会という本質を見極め、国家の正義をふりますことを諌める。その後日本は中国との泥沼に向かう。その見識は鋭い。
勝海舟 講談社学術文庫
Tags : 新潟県河井継之助記念館
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