南魚沼市、最上山関興寺は、中世期信州・佐渡・能登・越中・越後五カ国の北越鎮護の道場だった。謙信没後の跡目争い「御館の乱」の兵火のため諸堂が焼失した。江戸時代、米沢関興寺より萬源和尚を迎え、山地から現在の地に移した。安永5(1776)年に建てられた本堂、庭園は、近世禅宗寺院の美と中世の気風を伝える。
〒949-6373 新潟県南魚沼市上野267
TEL:025-783-2111
表面は彩色の上に金箔を細く切って文様を表す截金技法(きりかねぎほう)で、平安時代後期の特徴を示し、目に水晶を嵌(は)める玉眼(ぎょくがん)技法は同時期には新しい。像内に110枚に及ぶ紙に押した毘沙門天の印仏と彩色の画像。印仏裏面に応保2(1163)年と記すものがあり、作像と同時期作と思われ、ところは奈良の廃寺中川寺。
謙信は越後統一後川中島へ出兵するにあたり、一族のライバルで姉の主人長尾政景宛に政景出兵参加中の安堵を伝える書状。一族が合い争う戦国時代の武士の現場を伝える資料。当館では「天地人」上杉景勝、直江兼続ゆかりの歴史・文化も紹介し、狩野永徳作の国宝洛中洛外図屏風(上杉本)の原本を 通常春・秋の年6回公開。
〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1
TEL:0238-26-8001
著者は日本生まれのカナダの外交官で、歴史学者。戦前、戦後に日本に駐在する。クリオとは「最も内気な歴史の女神」で、本書は日本近世・近代の歴史随想集。著者は、日本屈指の独創的農本思想家、江戸時代秋田の安藤昌益を研究し、その難しい農業思想を丹念に解読し、その思考に潜む特色「沈鬱と平静」を抜き出してみせた。
ハーバート・ノーマン 岩波書店
Tags : 新潟県関興寺
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment