標高200m弱の低丘陵地を利用した山城、鮫ヶ尾城跡。上杉謙信が武田信玄の進出に対し信濃方面への備えとして築城し、謙信死後、跡目を争う「御館の乱」の悲劇の城となる。丘陵には、弥生後期の上越地方最大規模集落遺跡・斐太(ひだ)遺跡、その先に観音平・天神堂古墳群が広がる。そして上杉家信仰の平安初期創建の斐太神社が佇む。
新潟県妙高市大字宮内・籠町・雪森
TEL:0255-86-3911(妙高市観光協会)
表面は彩色の上に金箔を細く切って文様を表す截金技法(きりかねぎほう)で、平安時代後期の特徴を示し、目に水晶を嵌(は)める玉眼(ぎょくがん)技法は同時期には新しい。像内に110枚に及ぶ紙に押した毘沙門天の印仏と彩色の画像。印仏裏面に応保2(1163)年と記すものがあり、作像と同時期作と思われ、ところは奈良の廃寺中川寺。
謙信は越後統一後川中島へ出兵するにあたり、一族のライバルで姉の主人長尾政景宛に政景出兵参加中の安堵を伝える書状。一族が合い争う戦国時代の武士の現場を伝える資料。当館では「天地人」上杉景勝、直江兼続ゆかりの歴史・文化も紹介し、狩野永徳作の国宝洛中洛外図屏風(上杉本)の原本を 通常春・秋の年6回公開。
〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1
TEL:0238-26-8001
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の芸術と思想を現代に読み解く本書。八雲は、両親からアイリッシュの神話と古代ギリシャ神話を聞いて育つ。八雲は明治23(1890)年に松江にお雇い教師として赴任し、妻セツから日本の昔話を語り聞く。そして永遠ではなくかりそめに価値を置く文化を、怪談を再構成し、随筆につづる。
ベンチョン・ユー 恒文社
Tags : 斐太歴史の里新潟県鮫ケ尾城跡
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