臼杵の磨崖仏は59体が国宝指定される。磨崖仏は自然の岩壁などに造立された仏像で、平安時代に神仏習合した山岳仏教とともに多数造形。臼杵の磨崖仏は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて山ではなく里で彫刻され、表情豊かな姿はみる者の心にやすらぎをあたえる。里の長者が造形したと伝わり、また山とはその趣が異なる。
〒875-0064 大分県臼杵市深田804-1
TEL:0972-63-1111 (臼杵市文化・文化財課)
扇の形の紙を冊子にし、法華経の守護神を平安貴族女性の姿にし、貴族や庶民の暮らしを描く。法華経10巻などを書き写す当作品は、この時代に慈しみ楽しまれた紙扇の絵の様式を伝える唯一の遺品。 雁皮(ガンピ)を原料として、光沢があ理、滑らかな上質の鳥の子紙(トリノコガミ)に、雲母(ウンモ、キラ)の粉を、地塗りして、薄く延ばした金・銀の切箔(キリハク)を散らす。月夜に、絵柄を透かして煌(キラメ)く。
平安時代後期、天喜元(1053)年、仏師定朝の作。技法は日本独自の寄木造り完成の技法で、表現も日本独自の和様の完成を見せる。頬がまるく張った円満な顔。伏目がちの大きな眼は拝む者を静かに見つめ、表情はかぎりない優しさに溢れる。胸をひいて背をわずかにまるめた姿勢に無理がなく、どこにも硬い緊張感がない。
〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
TEL:0774-21-2861
関白藤原忠通の子供で、比叡山で天台座主となり、摂関社会と仏教社会の両方の頂点に立った慈円。後鳥羽院と鎌倉幕府が対立する中、日本の歴史を綴る。怨霊の歴史も入れ、中国的な「歴史」だけでなく、日本的な「風儀」、ならわしを通して、そうなる道理や筋を記す。歴史は相対的に生起し消滅する変化がおこるものとする。?
慈円 岩波文庫
Tags : 国宝大分県磨崖仏臼杵鎌倉
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment