徳島県吉野川に流れ入る清流祖谷川に架かる自生のシラクチカズラでつくられた長さ45m、幅2mのつり橋。3年毎に架替えが行われる。深山渓谷地帯の唯一の交通施設で、丸太と丸太の間から14m下の水面が見える。平家滅亡後、残党と共に祖谷に入山した堀川内記。代々受け継がれた堀川内記の屋敷は、現在平家屋敷民族資料館としてよく保存され、平家の資料や遺物を展示する。
〒778-0102 徳島県三好市西祖谷山村善徳162-2
TEL:0120-404-344 (三好市観光協会)
扇の形の紙を冊子にし、法華経の守護神を平安貴族女性の姿にし、貴族や庶民の暮らしを描く。法華経10巻などを書き写す当作品は、この時代に慈しみ楽しまれた紙扇の絵の様式を伝える唯一の遺品。 雁皮(ガンピ)を原料として、光沢があ理、滑らかな上質の鳥の子紙(トリノコガミ)に、雲母(ウンモ、キラ)の粉を、地塗りして、薄く延ばした金・銀の切箔(キリハク)を散らす。月夜に、絵柄を透かして煌(キラメ)く。
京都大原に佇む当院で、平清盛の息女・建礼門院徳子は、遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごす。天台宗尼寺である当院は、もとは594年聖徳太子が御父を弔うため建立。本堂前西側には、「平家物語」にも描かれた心字池。千年の姫小松や汀の桜、苔むした石が心を静ませる。
〒601-1248 京都市左京区大原草生676
TEL:075-744-3341
平安時代は、京都王朝中心よりむしろ地方の時代だった。続いて源頼朝が、北の平泉と西の福原の両方を蹴散らかして新たに鎌倉に幕府を築いたが、それは風水にもとづき、「武の雅」を謳う「北の平泉的なもの」と「西の福原的なもの」の統合であったのではないか。
入間田宣夫 高志書院
Tags : 吉野徳島県祖谷のかずら橋
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