江戸時代、蜂須賀阿波藩は、当地で大坂・畿内に向けての藍つくりを奨励した。吉野川の水運に恵まれ、藍の集散地として、藍商・呉服商がこの地で発展し栄華を極める。その繁栄振りは当地の町並に残された。軒を連ねた家々の本瓦葺きの大屋根に、壁は厚い塗籠めで漆喰仕上げのうだつをあげる。地産と装飾芸術は分断されなかった。
〒779-3610 徳島県美馬市脇町大字脇町
TEL:0883-53-8599 (美馬観光ビューロー)
江戸時代初期、懐月堂安度(生没年不詳)は工房を主宰し、筆に夜肉筆美人画を量産した。やや角張った顔立ち、広い額、切れ長の目、無造作な口。スタイル化して、太く、また細く衣服の形やシワを描く線。豊かなボディの美人画を特色とする。 そっと耳打ちする大きな遊女、小さな見習いの童女。様式化されたその美。
秀吉の四国征伐後播磨龍野より阿波に入った蜂須賀氏は、特産品を藩の専売化で経済を確立。藍は吉野川流域で生産され、藍玉として全国に出荷。この蜂須賀家と藍(あい)商人の経済力に支えられて、16世紀に兵庫・西宮神社で琉球の三味線を取り入れ誕生し、淡路島に伝播した人形浄瑠璃が、阿波で力強い芸風に育てていく。
〒770-8070 徳島市八万町向寺山 文化の森総合公園
TEL:088-668-3636
蒹葭堂は元文元(1737)年に大阪北堀江の酒造りと仕舞多屋を兼ねた家の生まれ。画人、博物学者であり、考証家でネットワーカー、文筆家で蔵書家で、文人墨客とサロン活動する。蒹葭堂は、産業と文化を切り離さなかった。産物と学問と芸術を分断しなかったのだ。
中村真一郎 新潮社
Tags : うだつの町並み吉野徳島県
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