笑う岩偶は、縄文時代晩期集落の米代川支流の阿仁川がS蛇行し挟まる河岸段丘上で出土。高さ6.9cmで軟らかな凝灰岩でできている。この岩偶は、ムラを内外に分ける区画した溝の内側から出土し、祭祀用の土偶や土器も共に出土。現在は、4000年前の縄文後期、特別な祈りの場、ストーンサークルを主とする伊勢堂岱遺跡の縄文館で展示される。
〒018-3454 秋田県北秋田市脇神 字小ヶ田中田100−1
TEL:0186-62-6618
明治11(1878)年に奈良・法隆寺から皇室に献納、第二次大戦後、国に移管された聖徳太子ゆかりの宝物300件あまりを収蔵・展示する。 ニューヨーク近代美術館新館など美術館建築も数多く手がける谷口吉生(ヨシオ 1937-)の設計、平成11(1999)年に開館。 谷口が設計で目指したもの、—静寂や、秩序や、品格のある環境を、この場所に実現すること。展示・収蔵室の箱とロビーやレストランの箱。2つの箱の建物と入口が左右にズレ、視界が抜けて、周りの自然が取り込まれる。
内藤湖南はジャーナリストとして活躍した傍らで中国史や文化の研究を行い、京都大学講師となってからは中国研究の第一人者として後世に影響を与えた東洋史学者。当館は十和田湖開発に尽力した和井内貞行(わいないさだゆき)の本邸跡地に建てられ、内藤湖南をはじめとする当地にゆかりのある先人の資料を展示する。
〒018-5334 秋田県鹿角市十和田毛馬内字柏崎3-2
TEL:0186-35-5250
明治時代、湖南は東西を比較してその「あいだ」に立つ意見はとらず、日本が立つべきは、国家をこえた普遍的立場を表明していったほうがいいのではないかと考えた。日本には日本文化の種があって、日本にとっての支那文化は豆腐のニガリのようなものだというのだ。
内藤湖南 講談社学術文庫
Tags : 北秋田市教育委員会史跡国指定史跡秋田県
Your email address will not be published. Required fields are marked *
Name *
Email *
Website
Comment