国分町唐鐘海岸の畳ヶ浦一帯は、古くから床ノ浦と呼ばれた景勝地で、縦横に走る小さな亀裂が見られる千畳敷海岸。約1,600万年前の地層である約49,000・の波食棚に、高さ約25mの見事な礫岩・砂岩の海食崖や断層。海面が隆起し、千畳敷と断崖が融合した見事な岩肌景観が造形される。
〒697-0003 島根県浜田市国分町
TEL:0855-24-1085(浜田市観光協会)
袈裟などの衣類を運ぶ箱。仙人が金・銀の宮殿に住むと、古代中国で言われた東の海に現れる島、蓬莱山を長寿の亀や鶴と描く。 蓋(フタ)のような形のため、別の箱の身と組み合わされた。 しかし側面の松喰鶴(マツクイヅル)の向きから、もともとは単独で、衣服を入れる広蓋(ヒロブタ)や髪道具など一時入れる乱箱(ミダレバコ)のように衣類等を整理・運ぶためのものと推定される。 金粉を蒔いた後に、絵を研ぎ出す技法、研出蒔絵を、疎と密に使い分け、表現する幻想性。平安時代後期の蒔絵の名品。
(福井県敦賀市から山形県庄内地方までの)古代高志国の姫、奴奈川姫(ぬなかわひめ)に、出雲の大国主命が求婚にやってきたとの伝説。原石と加工技術の出会い。ヒスイは古代魔除けの貴石とされ、海上ネットワークで日本列島東西に供給された。当館は、中央地溝帯・フォッサマグナ西辺の糸魚川静岡構造線の直上、美山公園の奴奈川の郷にある石の博物館。大型のヒスイの原石はじめ貴重な岩石標本を展示する。
〒941-0056 新潟県糸魚川市 一ノ宮1313
TEL:025-553-1880
本書が紹介する加耶の諸国は、現在の釜山がある朝鮮半島南部にあった。日本の志賀島に後漢光武帝の金印が届く1世紀に誕生。倭国は交易と鉄を求め加耶諸国と交流し、日本の「謎の4世紀」には、釜山・対馬・北九州を船団が極めて密接に行き交う。加耶を通じ百済・倭国は複合的な関係を築き、7世紀白村江の戦いへもつながる。
田中俊明 山川出版社
Tags : 島根県石見畳ケ浦
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